2007年6月5日火曜日

アップルは黒船か

アップル、文化庁を激しく非難--「私的録音録画補償金制度は即時撤廃すべき」

より以下引用。

さらにアップルは文化庁の行政運営が「著作権者団体の意見のみを汲み取り、消費者、機器メーカーの立場は無視し続けている」と激しく非難。「アップルを私 的録音録画小委員会から閉め出し、欠席裁判で物事も決める閉鎖的な体質を持つ文化庁の典型的な隠蔽体質を良く表している。(中略)はなから『結論ありき』 の審議会運営をする著作権事務局には真摯な姿勢は微塵も感じられず、もはや公平公正な著作権行政を運営する適切な省庁とは言い難く、速やかに著作権行政を 他の省庁に移管することを強く望む」(アップル)と訴えている。

 まさに、開国を求めている状態だ。この意見は「ごもっとも」であり、コレに対する真面目な反論を本気で知りたい。どう解答するのであろうか?

 とにかく、「結論ありきの議論」しかできない人々というのは多い。そしてその中に私も入っていると思う。思うに、日本の教育がそういう教育、いや、教育というより風土がそういうものなのかなぁと思う。少々の議論はあったとしても、「目上の人(先生など)」が現れて、「これはそうだ」といえば、「これはそういうものなのだ」というふうに丸く収めるのが文化という感じがする。

 例の狂牛輸入問題のときも「輸入する前提で、危険かどうか議論する」なんて意味不明な議論があったらしいしな。

 とにかく、結論があり、その結論を世のみんなに納得させるために、理論的(に見える)に論じる演技をしなくてはならず、その演技に説得力を追加するために「業界の権威」や「なんたら教授」といった名前だけで説得力を持つ方々を並べる必要があるのだ。そして、まとまならないとみると、その原因である「業界の権威」や「なんたら教授」を外して無理矢理、まとめるというのがやりかただろう。

 このやり方は、私の論文の書き方に似ているな・・・。まぁデッチアゲの手段というのはこういうもんか。